一意専心の身体作り
こんにちは!
パーソナルケア アインの畠山です。
桜の木が気になる季節になりましたね。
通勤時に見かける桜の木も少しずつ花が咲き始めました。
毎年この時期の二週間程度はいつも以上に目を楽しませてくれる特別な期間です。
一分咲きぐらいから自分の心がワクワクし始めているのが分かります。
その沿道を通るたび変化を感じられ、満開になるにつれてワクワクが最高潮に達していき自ずと顔が綻びます。
桜を見ていると昔の思い出が胸に浮かびます。
ある年の春の、晩ご飯の買い物を済ませた帰り道、母が不意に「桜見にいこうか。」と言い出しました。
その時一緒にいた姉も私も、母の急な提案にそこまで乗り気では無かったのですが、そのままの流れでお花見をすることになりました。
あの日は空気が冷たくあまり外に長居したくない夜だったのに、
渋々見に行ったはずだったのに、
桜が妙に綺麗に感じられた記憶があります。
なぜかと思い返せば、途中で買ったカップ酒がそういう気持ちにさせてくれたのだと思いました。
買った先で温めた花見酒を片手に見上げた桜に風情を感じたと言えば良いでしょうか。
寒さを忘れさせてくれるぐらい綺麗な桜でした。
そういった風流な記憶が桜を見たくなるスイッチなのかもしれません。
母に感謝です。
皆様も桜にまつわるエピソードをお持ちですか?
散歩がてら桜を見に出かけてみるのはいかがでしょうか。
身体を動かしながら美しい桜を愛で、心身共にリフレッシュ出来たら最高ですね。
前置きはこれぐらいにして
それでは早速本日のテーマ『一意専心の身体づくり』に行ってみましょう!
といっても本日はいつものような実践ではなく考え方のお話です。
私は常日頃から言い続けていることがあります。
それは「丹田の意識」です。
本日は私が「丹田の意識」が重要であるという考えに行き着くまでの過程についてのお話です。
それが、今の私の整体師としての考えの基礎になっているのだと実感しています。
「丹田の意識」が芽生えたのは「整体師を長く続けていたい。せめて80歳ぐらいまでは頑張りたい」と思ったことがきっかけでした。
整体師を始めて3年ほど経過した時期に、今のままでは患者さんの治療どころか自分の身体を壊してしまうかもしれないとふと思ったことがありました。
常に一人一人に対して全力投球の気持ちで挑んでいるうちに、いつの間にか自分自身の身体が悲鳴を上げ始めていることに気付いたのです。
股関節や膝が痛むようになった際はセルフケアでなんとか凌いだり、同じ職場のスタッフに施術をしてもらったりしましたが、そちらが改善されても今度は手が痛くなったりと日々違うところが痛むようになりました。
最初は身体を使った仕事だから仕方のないことと思いつつ騙し騙し施術をしていましたが、このままの状態でいるわけにもいかないので自分なりに原因と改善方法も追究しました。
「身体の使い方が悪いせいだ。利き手である右手だけでなく左手もしっかりと操れるようになれば改善されていくだろう」と思い至れば、左手の施術(圧を加える)訓練をしたり、「常日頃から握力の練習が足りないからだ」と思い至れば、握力を鍛えるためのグッズを取り入れて鍛えたり、または単純に筋トレをしてみたり、と自己施術の練度と筋力効果に励みました。
それでも身体は対応人数に比例して疲弊し、身体への痛みがどうしても出てしまい、結局ストレッチなどのケアが欠かせませんでした。
なんとか症状が悪化するところまでは進行しなかったので、現状維持も仕方ないかと諦め、あまりにも疲れた時は疲労回復のために休みの日はあまり動かず身体を休めることに当てていました。
前職は声の仕事もしていたこともあり、お腹で呼吸をするという意識は過去のボイストレーニングから体得していたと思っていたので、呼吸を使って重心を操作することも出来ていると思っていました。
ですが今振り返れば当時の呼吸の仕方は力を抜くための呼吸法だったように思います。
つまりその当時の腹式呼吸では力を上手く操れておらず、上半身の力に頼った身体の使い方をしていて、どちらかと言えばマイナスからのスタートでの身体の使い方をしていたのです。
数字で表すならば、最大の力が10としたら過去の自分はマイナス2から3の状態から身体を使っていて、結果として力を最大の10引き出す為には13の力が必要な状態でした。
つまり3のロスが生まれていたことになります。
「丹田の意識」を習得した今を力の使い方で表すと、常に3からの状態でスタート出来ているので同じように最大の10の力を引き出す為に7の力しか使わなくていいことになります。
マイナススタートで13の力を使っていた状態から、常に自分の最大値を7の力でコントロール出来るわけですから身体の負担は格段に減りました。
別の表現で表すなら、過去の自分は常に爪先立ちの状態で足に力を入れている状態なので立っているだけで疲れてしまうのです。
そんな状態からスタートしていたら疲れるのは当たり前ですね。
つまり身体に負荷をかけない状態でのスタートを可能にしてくれるのが「丹田の意識」なのです。
その意識も最初は身体の使い方を根本的なところから見直そうと思って買った古武術の本がきっかけでした。
そこには古武術での基礎となる身体の使い方や動かし方や身体への意識などが書かれていました。
とりあえずそこに書かれていた内容を自分なりに解釈して忠実に行っていこうと思い、ただひたすら読み進めて実践し続けました。
過去に教わったボイストレーニングとの共通点もあったので声の操り方と古武術も符合するところ、身体の使い方が似ている部分もあるんだなと思いながら、自分なりに考え実行します。
常に試行錯誤していました。
YouTubeなどでもタイトルに「古武術」とある動画を探しては食い入るように見て勉強しました。
行っている時は何が正しいのかは分かりにくいものですが、兎に角繰り返し行い自分の感覚を研ぎ澄ますことが必要なのです。
少しずつ取り組んでいった結果、だんだん力を抜くポイントが分かってきます。
野球でいうところのバットの素振りと一緒です。
力を抜くということがどういうことかが分かり始めた時、今まで自分が思っていた力を抜いた身体の使い方が、逆に力を入れた身体の使い方であったことに気づいたのです。
これはかなりショックでした。
丹田は「力」ではなく「意識」が始まりでなければならないことにその時初めて気づきました。
その感覚が備わってくると今までの腹式呼吸はただ腹筋と背筋だけに力が入っているだけでコントロールするという行為には程遠かったということが理解できるようになり、その理解と共に呼吸にもただ吸って吐くだけではないんだということも分かりました。
呼吸一つ取ってみても、それが身体を使う上で大切な要素であることは今は当然のように分かりますが、それが自分に浸透したのは紆余曲折あってのことでした。
他の人から見たら最短距離ではないように見えるかもしれませんが、この道のりが私にとっての最短距離のルートでした。
自分が歩んできた人生の経験に無駄なんて一つもありません。
遠回りをしているようでそれが一番の近道なのです。
このようにして一つ一つ積み上げてきた実感、経験が私の基礎になっていきました。
昔からの言葉で「心技体」というのがあります。
私はこの言葉を自分の身体を操ることに関しての、とても大切なキーワードにしています。
この三位一体こそが思考の指針になってそれが身体の操法を紐解く鍵になっています。
今まで培ってきたもの経験してきたもの全てが「体」を成していると私は考えます。
そして「技」とは再現性です。
同じことを繰り返して出来ることが技術だと思っています。
そして最後に残った「心」について、これは今までの経験と技術を発揮することで心が形成され、育まれていくものだと考えます。
心の形成の仕方は生まれた環境などにも影響されるところはありますが、今回はこのパターンを一つの流れとしてお話させて頂きました。
これはあくまでも私個人の見解ですので、こういう捉え方もあるのだなと受け止めてもらえれば幸いです。
私にとって身体と向き合うことは様々なことを教わるきっかけになっています。
是非とも皆様も自分の身体としっかりと向き合って健康な身体を維持していって下さい。
本日のテーマ『一意専心の身体づくり』は以上になります。
あなたの身体がもっと使いやすくなって、毎日が充実した1日になることを切に願っています。
何かわからないことがありましたら、お気軽にご相談ください。
本日の癒しの画像
昔を懐かしむための夜桜。